森田浩之の政治コラム(最新回)

森田浩之の政治コラム

第277回 デジタル・ポリティクス

 新政権の第一優先課題は「行政のデジタル化」である。菅首相は9月16日の就任記者会見で「新型コロナウイルスで浮き彫りになったのは、デジタル及びサプライチェーンの見直し、こうしたことであると思います。......行政のデジタル化の鍵はマイナンバーカードです。役所に行かなくてもあらゆる手続ができる、そうした社会を実現するためには、マイナンバーカードが不可欠です。......今後できることから前倒しで措置するとともに、複数の省庁に分かれている関連政策を取りまとめて、強力に進める体制として、デジタル庁を新設いたします」と述べた。

 とはいえ、コロナ禍で明らかになった「デジタル化の遅れ」は「マイナンバーカードで役所に行かなくても手続きができる」ことではない。いくつもあるが、とくに国民との直接的な関係では特別定額給付金の申請であった。

 8月28日の安倍前首相の辞任表明記者会見で「10万円の給付金のときにもオンライン申請を受け付けながら、結局は自治体の公務員が手作業で作業をやるというような状況もあって、このコロナ禍で日本がいかにIT後進国であるかということが露呈してしまったわけです」という質問が出て、前首相は「官の側に立てば、役所ごとにシステムが違うという問題もございますし、自治体ごとに違うという、そういう課題もあります」と答えている。

 行政デジタル化の障壁がここにあるならば、中央省庁とともに、すべての自治体のシステムを統一する必要がある。私はこの道のプロではないから「全省庁と全自治体のシステムを統一する」ということが、別々のシステムをつなげることができるだけでいいのか、それとも、一からすべてのシステムを新しい同一システムに置き換えなければならないのかは不明である。

 私は譬え話として、いまの各銀行のシステムがそれぞれ別々で、銀行間取引を可能にする「つなぎ」のようなソフトウエアさえあればいいのか、それとも、銀行間で送金や振り込みをするためには、すべての銀行が同じシステムを導入しなければならないのか、という比喩で理解しようとしている。

 前者で済むなら、「住基ネット」の拡大版さえあれば事足りるだろう。いまは住民票の移動や照会で使われているネットワークを拡張して、別の用途にも使えるようにすればよい。しかし全システムを総入れ替えして、統一したシステムを入れ直さなければならないとしたら、これはたしかに政権の命運をかけた、というよりはむしろ、世紀の大事業となるであろう。

 ひとつの障壁に、すでに別の文脈で何十年も語られてきた「縦割り行政」の弊害がある。今回の菅首相のイニシアティブに対して、経団連は「各府省が所掌し実施しているデジタル関連施策・予算については、縦割の省庁体制で世界からの周回遅れを招いた実態に鑑み、一元的に所掌する組織を設ける必要がある」と提言している。

 続けて「具体的には、国・地方を通じたデジタル政策を一元的に企画立案する内閣デジタル局(仮称)を内閣官房に設置するとともに、中央省庁システムおよび地方公共団体に提供するシステムの企画立案・開発等を一元的に行うデジタル庁(仮称)を内閣府に設置することが有効である」としている(「デジタル庁の創設に向けた緊急提言」9月23日)。

 もし全システムを一から統合したものに置き換えることを意味するならば、中央省庁の縦割りを打破するだけでは済まされない。全国には47の都道府県に加えて、1700以上の市区町村がある。これをすべて完璧に一気通貫で統合するとなると、想像を絶するほどの労力と巨額の予算が必要になる。

 カネの問題もあるが、いまの行政サービスを維持しながら、これが実現できるのかという課題がある。みずほ銀行は成立過程で複数の銀行が合併し、システムが異なっていたため、何度かクラッシュしてしまった。それを克服するため、昨年、連休などを利用して一時的にATMを完全に止めて、新しいシステムを導入した。これと同じことを全国の行政機関で実施するというのは、担当者にとっては悪夢のような話である。

 仮に可能だとして、行政のデジタル化はいったい何を意味するのだろうか。私はよく利用した航空券のネット購入を典型例と考えている。マイレージカードを持っていることが前提で、その番号とすでに登録しているマイページに入るためのパスワードが手元になければならない。ここまではマイナンバーカードと同じである。

 航空会社のサイトに入り、ログインして、特定の日にちの特定の路線をクリックしていく。そして支払いの段になると、クレジット払いか、コンビニでの現金払いが選択できる。私は(自分でプリントアウトしたものではなく)正式な領収書が欲しかったので「コンビニ払い」にした。

 航空券の予約は48時間有効なので、そのあいだにコンビニへ行き、映画やコンサートなどの購買機にマイレージ番号と搭乗日を入力すると、レシートが出てくる。それをレジに持って行って現金で払うと、お店の人はレジの後方にある機械で印刷された領収書を持って来て、それに収入印紙を貼ってくれる。

 家に帰ってコンピューターを開けてみると、なんと取引がレジを通った瞬間に、航空会社は「支払い完了」のメールを送ってきていた。最初のログインから、日にちと路線の選択、そしてコンビニでの支払いまで、いっさいの取引に人間は介在していない。完了を知らせるメールも自動送信である。

 これと同じことが一律給付でも実現できたら、政府は給付の遅れについて批判されることはなかった。しかし航空券の場合は、ひとつの民間企業が自動取引を可能にするシステムを整えておけばよいが、全国一律の行政サービスとなると、難易度は比較にならない。というのも、日本全国という空間的な広がりだけでなく、機能面でも無限の広がりがあるからである。

 「家で手続きができる」の中身の問題である。いま想定されているのは、マイナンバーカードと、健康保険、運転免許を共通化することである。要するに、マイナンバーカードに戸籍と住民票を紐づけたうえで、これ一枚で健康保険証にもなり、運転免許証にもなるということである。

 ここまでは「行政サービスの効率化」という面では常識の範囲内だが、今回のコロナ対策の様々な給付をも効率的に行うには、さらに大事な国税庁・税務署との結合が不可欠になる。たとえば10万円の特別定額給付金では、自民党内でいろいろあった末、全国民に一律給付することになった。しかし富裕層にまで渡す必要があったのだろうか。住民票と収入や納税の記録が結びついていれば、所得制限は簡単にできた。

 さらに問題になったのが、収入の大きく減った中小企業や個人事業主を支援する「持続化給付金」である。これは「〜の期間、...割、昨年と比べて売上が落ちた」という条件に当てはまる会社・人が対象になる。申請には昨年の確定申告書と今年の銀行の通帳の写しがいる。これを画像にしてオンライン申請する。

 持続化給付金が詐欺の温床になったのは、偽りの申請が可能だったからである。納税記録や確定申告書が自己申請ではなく、申請を受けつける行政の側で把捉できたならば、犯罪を防げただけでなく、人による手作業の審査も省けて、機械どうしの交信だけで迅速に資金を届けることができた(業者選定をめぐる疑惑もあり得なかった)。

 もちろん言葉で表現するのは簡単で、それを具体化することは超難題である。いくら長期になろうと菅政権の代だけで完結することはない。そしてもしこれが単一システムの導入によってでしか可能でないならば、その仕事を手にした会社はシステム・インテグレーション業界の覇者になるであろう。

というよりも、これはSI業界に革命をもたらすとともに、もしかしたらこの業界を破壊するかもしれない。デジタル庁は民間登用を積極的に進めるというが、それが限られたパイの取り合いを意味するならば、そこには生々しいポリティクスも入ってくる。

 行政のデジタル化はチャンスであるとともに、リスクでもある。マイナンバーを軸に、そこに戸籍、住民票、健康保険、運転免許、税務署の記録に加えて、年金、銀行口座、病院の診療歴を結びつければ、納税や国税還付、医療控除、健康保険証の更新、運転免許証の書き換え、特別給付金の自動振り込みなどがすべて一元的に迅速に行える。

 一方、この規模でひとつの番号に、現代社会で個人が必要とする行政サービスのすべてを結合してしまうと、セキュリティーが破られたら、現代社会の根幹が崩壊する。アイデンティティを盗まれてしまうと、その人は生活のすべてを剥奪された状態になる。銀行から不正に預金が引き出されたり、納税記録が消されたり、還付や控除や給付を横取りされるかもしれない。

 しかし本当に恐ろしいのは、中央省庁と全自治体がひとつのシステムでつながることで、どこか弱いところから侵入されて、全システムを破壊されるという事態である。生活で必要な項目が統合されていて、そのシステムが完璧にストップしたら、それはこの世の終わりを意味する。便利の裏では強力なセキュリティー対策が不可欠になる。

 中央省庁・自治体システムの統合とサイバー・セキュリティー、そしてそのなかで主導権を握るための政治的な綱引きなど、菅政権はみずから前人未踏の大海に飛び込んでいった。行政のデジタル化は今世紀前半の最大かつ最難関の政治課題になることは間違いない。

(このコラムは毎月1日と15日の月2回。次回は11月1日の予定です)

【森田浩之プロフィール】

東日本国際大学客員教授。長年、哲学と政治を学んできたが、現在は人工知能の基本理念と社会的意味について研究している。NTT労働組合の機関誌『あけぼの』に「未来を語ろう――ICT/AI研究ノート」を連載中。著書に 『情報社会のコスモロジー』 『社会の形而上学』 『小さな大国イギリス』『ロールズ正義論入門』がある。NTT労働組合の学習会では、情報通信政策について解説している。