森田浩之の政治コラム(最新回)

森田浩之の政治コラム

第233回 政治の力

イギリスのブレグジット(英国のEU離脱)が混沌状態に陥っている。11月中旬にメイ政権はEU(欧州連合)の交渉官と合意した内容を閣議にかけ、承認を得た。今後、議会で審議・採決されることになるが、いまのところ通過する可能性は低いと見られている。イギリスのEU離脱を図る国民投票は、2016年6月に行われ、その結果、「52%対48%」と僅差であったが、離脱が決まる。しかしこの時点で「離脱」が何を意味するかを完璧に理解していた人が少なかったことが大きな問題となった。

EUは政治・経済・文化にわたる共同体である。主権国家の集まりであるから、形式上は各国の議会と政府が決定の主体であるが、EUには欧州議会という立法府があり、欧州委員会という行政機関があり、欧州司法裁判所という裁決の場がある。EUは主権国家の集合体だが、欧州議会で決まったEU法と各国の国内法で相違があれば、EU法が優先され、各国内の裁判で不服の場合は、欧州司法裁判所に提訴することができ、そこで判決が下されれば、各国はそれに従わなければならない。

各国政府はEUが決めた農業政策、漁業政策、環境保護政策、労働政策、税制についての最低水準を充たさなければならない。だから完璧に国内の問題を自国で解決したいなら、EUから離脱して国内法だけで仕切るしかない。その意味では「離脱」は明快である。完全にEUの法律と規制から独立することだからである。

しかしここに問題があった。EUは経済的には「単一市場」と「関税同盟」から成るが、前者はEU域内では、すべての財とサービスが関税ゼロで行き来できることである。英仏のあいだにはドーバー海峡があるが、ここはトンネルでつながれており、フェリーで渡ることもできる。ここを毎日、無数のトラックが通るが、それらは一切の手続きなしで「国」ではなく「県」をまたぐようにスムーズに往来できる。全物品で関税ゼロということは、自動車を造る場合、部品と組み立てを別の国で行える。フランスから運んできたパーツで、イギリスにおいて自動車を製造できる。国境の検問所であらゆる財をチェックしなければならない地域にすれば、うらやましい話である。

一方「関税同盟」は単一市場とは別で、EU域外からの輸入品について、EU域内ではすべての国で関税を同じにしなければならないというルールである。日本から自動車を輸入する場合、フランスで5%ならば、イギリスも5%にしなければならない。というのも、フランスでは5%であるのに、イギリスで3%ならば、イギリスを抜け道に日本車がEUに入ってしまう(イギリスと他のEU諸国とのあいだには検問がないから)。そのためEU加盟国は関税同盟に参加して、域外からの関税を統一しなければならない。要するに、イギリスがすべてを国内で決めるためには、つまり「主権を回復する」には、立法・行政・司法から身を引くと同時に、単一市場と関税同盟からも抜けなければならない。

これ自体はすっきりした論理だが、実際問題としてはEUから入ってくる全品目を検問所でチェックするのは悪夢であるし(数が多すぎて対処できない)、関税がかかれば物価が上がるし(食料などの日常品の多くがEUからの輸入)、EUへの輸出も英国の大きな産業だから、関税がかかれば輸出業者は苦しくなる。

また、単一市場の裏返しに移動の自由がある。EU市民なら、域内のどの国にも行けて、働ける。イギリスのように裕福な国では農業・建設などで働き手が不足しており、東欧からの外国人労働者に頼っている。EUから離脱すれば、それらの人材が確保できない。離脱派は、短期的な苦痛はあるが、自国のことを自国で決めて、EU域外との貿易協定で繁栄できると信じている。本当かどうかは別にして、理屈は明快である。残留派は、離脱は惨事だから、名目上は離脱しても、単一市場と関税同盟には残って、いままでのEUとの経済交流は維持したいと考えている。同様に、これはこれでシンプルである。

今回メイ政権が採用した策は、両方の中間を行くようでありながら、両者からひどく嫌われるという、最悪の結果になっている。メイ首相はこの案か「合意なしの離脱」のどちらかしかないと脅しをかけているが、議会で否決されれば、大混乱は必至である。離脱に伴って浮上したのが、北アイルランドとアイルランド共和国の国境である。両国の国境では1998年の和平合意によって検問所が廃止され、いまでは地続きで両国民が自由に行き来できる。

しかしイギリスがEUから離脱すれば、両国の検問所を復活させて、アイルランド共和国(EU域内)と北アイルランド(イギリス)とのあいだで税関の手続きをとる必要がある。これはアイルランド共和国にとっても、EUにとっても、そして北アイルランドの共和国派にとっても、まったく受け入れられない措置である。ということで、メイ政権は北アイルランドを含めた連合王国を当座、関税同盟に留まらせて、北アイルランドについては、関税同盟だけでなく、単一市場にも残ることを受け入れた。これによって完全に離脱するまでの移行期間は、イギリスはEUにルールに従わなければならない。これは離脱派にとっては裏切りである。

この大騒動を日本から見ていて、私は改めて(悪い意味での)「政治の力」に怯えている。たしかに民主主義国では、各政権は選挙で選ばれているが、日常においては、政府の決断・議会での採決に無条件に服従しなければならない。

これをいまの日本に引き寄せてみると、外国人材に関する問題に当てはめられる。たしかに人手不足に悩んでいる事業者にしてみれば、外国人労働者は一刻を争う事案かもしれないが、国民世論からしてみれば、明らかに拙速である。かりに将来、大量の外国人を受け入れることになるとしても、やはり「心の準備」は必要で、その心の準備をさせるためにも、外国人の社会保障や失業時の対応については、完璧にしてからでないと、歓迎することはできない。

しかしいまの与党は、まず結論ありきで、審議もそこそこで国会を通過させようとしている。多数を取れば世論を無視してでも強行できる――これが悪い意味での政治の力である。選挙の時くらいは、われわれは将来を見越して、しっかり一票を投じなければならない。

(このコラムは毎月1日と15日の月2回。次回は12月15日です。)

【森田浩之プロフィール】

1966年生まれ、東日本国際大学客員教授。フリーの著述家として、政治・経済について執筆・講演する一方、情報通信政策研究会の座長を務めている。NTT労働組合の政治学習会では、全般的な政治・経済に加えて、「これからの労働運動」「若者と政治」「NTTをめぐる規制と情報通信政策の動向」「地方分権時代の政策立案」など、多彩な内容の講演を行なう。著書に『小さな大国イギリス』(東洋経済新報社)、『社会の形而上学』『情報社会のコスモロジー』(共に、日本評論社)など。