森田浩之の政治コラム(最新回)

森田浩之の政治コラム

第230回 分断社会の到来

9月の自民党総裁選の議題のひとつに、憲法改正があった。ふたりの候補者のうち、一方は自衛隊を9条に書き込むことを主張し、もう一方はそれを「非現実」としながらも、9条2項の「戦力の不保持」の改正と「緊急事態条項」の優先を提唱していた。

私見では、憲法改正自体が困難であり、かつ不必要であるから、どちらの見解も空論でしかないが、9条から「戦力の不保持」を取り除くことと、「緊急事態条項」を憲法に新たに加えることのほうが、難しいと感じられる。

憲法改正がなぜ不必要なのかと言えば、それは近代憲法の特性に基づく。18世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパで近代国家が誕生したが、政府に絶大な権力を与える代わりに、市民は憲法によって権力を縛ることにした。だから憲法は「基本的人権」と「統治機構」で成り立っている。前者は国家が侵害してはいけない市民の権利を示しており、後者は議会・政府・裁判所の決め方を定めている。

日本国憲法には、これらに加えて第二次世界大戦の反省から「国民主権」と「戦争放棄」が書き込まれている。4項目(基本的人権・統治機構・国民主権・戦争放棄)に関して、日本国憲法は完璧な文章と言ってよい。というのも諸外国の憲法と比べて、国家が侵害してはならない市民の権利については、完璧に網羅されているし、戦争放棄を謳っていることで、政府の暴走による戦争を防ぐことができるからである。

ただ統治機構については、例えば、現在の議院内閣制を変える場合には、憲法を改正しなければならないが、1980年代以降「首相公選制」の話が出ては立ち消えになったように、憲法改正を必要とするほどの統治機構の変更は、国民のコンセンサスとなっていない。その意味で、今のところ憲法改正は不必要であろう。

上で「緊急事態条項」を書き加えるほうが難しいと述べたが、それは自衛隊の明記によって自衛隊の行為を合憲化、つまり正当化することになるものの、9条に3項目を追加して自衛隊を書き込むだけだから、既存の条文を完全に書き換えてしまうわけではないためである。とはいえ9条3項に自衛隊を明記すれば、それと2項の「戦力の不保持」との整合性が問われることになる。

一方で自衛権を合憲化するためには、正々堂々と正面から臨まなければならないという立場もある。これが2項「戦力の不保持」の改正だが、これはいまの条文を書き換えることだから、自衛隊の明記よりも困難である。この提唱者は、自衛隊の明記のほうが大変のような印象を与えてきたが、実際のところは、こちらの方が大事である。

しかしここで指摘したいのは「自衛隊の明記」と「戦力の不保持」改正のどちらが非現実的であるのかということではない。それよりも「戦力の不保持」と「緊急事態条項」を提唱していた候補のほうが、国民投票にかけた場合「大多数の賛同を得なければならない」と述べていたのに対して、自衛隊の明記を主張していた人が「一生懸命、政治家が国民を説得して、過半数を取れるかどうかである」と言っていたことである。

背景には「自衛隊明記」派が数年以内の憲法改正をめざしているのに対して、「戦力不保持」改正派が時期を限ってはいけない、と述べていたことがある。この点では、後者のほうが正論で、憲法改正のような国家の仕組みを根本から定め、改正によって仕組みを根底から変えてしまうことについて、期限を決めて取り組むのは不条理だからである。

とはいえ、ここでも揚げ足を取るならば、「戦力の不保持」や「緊急事態条項」について国民の大多数、例えば7割8割が賛成することなど、あり得るはずがない。もしこの人が本気でそんなことを考え、望んでいるならば、私は「日本はそんなに右傾化していません」と申し上げたい。戦力の不保持を「保持できる」に変え、「緊急事態には国民の権利と自由を制限できる」とする憲法改正に、8000万人もの日本人が賛成することはない。

だから現実認識としては、かりに国会で議員の3分の2が賛成して、憲法改正が発議されるとして、それから政治家が精力的に国民を説得して、国民投票において過半数ぎりぎりをとれればいい、というほうが可能性は高い。

読者は混乱されているかもしれない。「おまえはどっちの味方なのか」という疑問もあるだろう。もちろん私はどちらも支持していない。ただ、どちらの見解にも欠点があることを指摘したいだけである。

確認すれば、一方に「自衛隊の明記」の主張者がおり、片方に「戦力の不保持」の改正と「緊急事態条項」の追加を提唱する人がいる。前者は改正項目を限定している分、やや現実的かもしない。

後者は「戦力の不保持」を改正するから、9条の文面の変更を求めている。これだけでひと騒動であるが、さらに「緊急事態条項」は非常時に国民の権利を一時的に停止できるとしている。これは下手をすると、おそろしい警察国家を正当化してしまうことになり、本気で議論すれば国中が荒れることになるから、こちらのほうが非現実性である。

しかし「自衛隊明記」派がなぜこれにこだわるのかと言えば、それは憲法改正を急ぎたいからである。時間を決めて国会に提出して、さっさと発議して、国民投票にかけたいという魂胆である。だからこの点では、スケジュールありきではなく、ゆっくり討議しようという後者の立場のほうが正論である。

とはいえ、ここでどんでん返しが来る。私は「自衛隊の明記」に限定したほうが「戦力の不保持」改正と「緊急事態条項」追加よりも可能性が高く、かつ国民投票で「7割8割」とるよりも「過半数」取れればいいというほうが、やはり現実的であると述べてきた。一見、私は安倍首相の立場のほうが、石破元幹事長の立場よりも「現実的」と言うことで、擁護しているように感じられたかもしれない。

しかしここに落とし穴がある。というのも現実的だからこそ、本当に起こった時のことをいまから考えておかなければならないである。自衛隊明記の問題は、第一に集団的自衛権を含め、自衛隊の行為のすべてを合憲化してしまうこと、第二に「戦力の不保持」を規定した9条2項と整合性がとれなくなることである。

だが、さらなる問題は、自衛隊が憲法に書き込まれることで「日本が武力を合憲化した」と内外にはっきりと示してしまうことである。外国の反応も重要であり、これを考慮して、日本人は国民投票の際、熟考することになるだろう。

加えて、戦後の平和を壊すことになるのではないかという不安が日本人を襲い、憲法論議が醜悪な罵りあいになる危険性がある。その挙句に過半数ぎりぎりで可決して改正となると、国民のあいだに大きな分断を残してしまう。

まずは、いきなり「自衛隊の明記」など特定の目標を立てるのではなく、ゆっくりと期限を決めずに、憲法改正がなぜ必要なのか、その有無を政治家が国民に説明する義務があり、国民が納得する憲法改正議論にする必要があるのではないだろうか。

(このコラムは毎月1日と15日の月2回。次回は11月1日です。)

【森田浩之プロフィール】

1966年生まれ、東日本国際大学客員教授。フリーの著述家として、政治・経済について執筆・講演する一方、情報通信政策研究会の座長を務めている。NTT労働組合の政治学習会では、全般的な政治・経済に加えて、「これからの労働運動」「若者と政治」「NTTをめぐる規制と情報通信政策の動向」「地方分権時代の政策立案」など、多彩な内容の講演を行なう。著書に『小さな大国イギリス』(東洋経済新報社)、『社会の形而上学』『情報社会のコスモロジー』(共に、日本評論社)など。