森田浩之の政治コラム(最新回)

森田浩之の政治コラム

第251回 政治の語り方を変えたい

 

 もし「現在の最も重要な政治課題は何か」とたずねられたら、「年金」でも「医療」でも「税金」でもなくて、躊躇なく「低投票率」と答えたい。低投票率でも現職議員にとっては「当選は当選」だから、何かしなければならないという意欲は感じられない。だからこれは政治家が取り組むべき課題ではなく、国民自身が考えるべきことである。

 8月25日に埼玉県知事選が行われたが、投票率は32.31%だった。2003年に35.80%をつけて以来の30%台で、それ以降の3回(2007、2011、2015年)は27.67%、24.89%、26.63%と、連続して2割台に終わった。

 30%を超えたことで安心するほど低投票率に慣れてしまったわれわれであるが、有権者の3分の1しか投票していない。埼玉県の有権者数は600万人で、当日投票したのは200万人弱である。当選者の得票は92万だから、投票者に占める得票率は47%だが、有権者に占める割合は15%となる。これは民主主義の危機である。

 低投票率の理由は、各選挙において異なるであろう。個別の事情が左右するからである。知事選の場合、今回の埼玉では有力候補がふたり立って接戦が予想されていたため、関心は高かったが、ほかの知事選では全政党の相乗りであれば、多くの有権者が「最初から結果がわかっている」として、投票所に行かないかもしれない。

 自治体議員選挙の場合も、選挙区の事情が影響するであろう。やはり「最初から結果が決まっている」と見られてしまえば、投票率は上がらない。ただし地方選挙全体に当てはまることとして、身近であるはずの都道府県や市区町村の議会選挙でありながら、一票と効果との関係が見えにくいことは確かである。

 たとえば教育や福祉、ゴミの収集など自治体の仕事は日常生活に密着しているが、マスコミだけで政治情報を仕入れていると、それらが国政だけで決まっているように感じられる。たしかに地方交付税交付金など、自治体の財政は国に頼っており、教育と福祉の提供範囲は国会で決められ(教科書検定など)、中央政府によって規制されている。だから自治体選挙において、自分の一票で生活が変わった、という意識を持つことはむずかしい。「わざわざ投票所に足を運んでも、何が変わるのかわからない」と多くの有権者が思えば、投票率は上がらない。

 国政選挙では、事態は深刻である。国会が法律を決める場所であるため、議員選びはわれわれの生活に直結する。しかし多くの有権者にとって、自分と国政の関係が不透明のようである。今年の参議院議員選挙の翌月、NHKは以下の世論調査を行った。私にとっては内閣支持率よりも大事であるし、かつ衝撃的な数字である(NHK NEWS WEBより)。

 「先月行われた参議院選挙の投票率が、48.80%と過去2番目の低さとなった理由について、5つの選択肢をあげて聞いたところ、『政治への関心が低いから』が36%で最も多く、次いで、『投票しても政治は変わらないから』が27%、『明確な争点がなかったから』が13%、『投票したい候補者や政党がないから』が9%、『現状のままでよいと思うから』が8%でした。」

 調査は選択肢をあげて、ひとつ回答してもらうものだから上の数字になったが、これが複数回答だったら、どうなっていただろうか。私はもっと多くの人が「政治への関心が低いから」と「投票しても政治は変わらないから」を同時に挙げたのではないかと思っている。

 もちろん「政治的関心は高い」と「投票しても変わらない」も両立するであろうが、私は本当に関心が高ければ、変わろうが変わるまいが投票するであろうし、または関心が高ければ、「変えられる」と信じて投票するのではないかと考えている。だから「関心がない」と「変えられない」が多くの棄権者のなかで共存しているように感じられる。

 私の憶測が正しいなら、NHKの調査で「関心が低い」が36%で、「政治は変わらない」は27%だったが、複数回答であれば、それぞれの数字はもっと高いだろう。私は両方とも50%を超えていたと思う。だから投票率が49%にも届かなかったのではないか。

 ただ手元の数字が36と27だから、これをもとにしても、有権者のうちの3分の1以上が政治に関心がなく、4分の1以上が「変えられる」という手ごたえを感じられない社会は異常である。

 というのも政治情報が氾濫しているため、日々の生活において政治のことを見聞きしないはずはない。それでも関心がないのは、なぜであろうか。

 これがすべて、と断言するつもりはないが、私は政治の語り方が間違っているのではないかと疑っている。ニュースや新聞で伝えられる「政治」は政治家のやっていることであり、そしてそのほとんどは政治家どうし、政党どうしの動き、つまり「政局」と言われるものに終始している。

 これはこれでとても大事であるし、本来ならば、全有権者が知っているべき事柄である。というのも、政治家どうしの動き、政党どうしの動きが結果として法律になって、われわれの生活を方向づけしたり、制限したりするからである。年金の問題しかり、医療の問題しかり、税金の問題しかり......である。

 しかし一方で一部のマスコミや論者のなかに、政局話を面白く報道しようという姿勢があるような気がする。つまり「それが大切だから」という動機ではなく、「視聴者・読者が喜ぶから」という楽しさ半分の不謹慎な動機で、政局ばかりを語っているところもあるように思われる。

 政界の取引はドラマとして愉快で、人間関係の縮図でもあるから、これに興味を持つ人がいることは理解できる。しかし残念ながらそういう人の大半が比較的年齢が高く、これらの人びとの政治的関心、というよりは、政局的関心が高ければ高いほど、若い人たちの政治的関心が低くなっているように感じられる。

 というのも、マスコミで「政治イコール政治家のしていること」「法律は政治家の闇取引で決まっている」と報道されればされるほど、投票の価値が下がっていくからである。政局に興味のない人が政局報道に晒されていると、「所詮、法律が政局で決まるなら、投票することに意味はない」と思うようになってしまうだろう。

 政局報道すべてを否定するつもりはない。さらに言えば、まじめな政策について報道するよりも、政局のほうが視聴率を取れることも確かかもしれない。だから結局は、国民の質がマスコミの質を決めている面もある。それでもなんとか政治の語り方を変えたい。

(このコラムは毎月1日と15日の月2回。次回は10月1日です。)

【森田浩之プロフィール】

1966年生まれ、東日本国際大学客員教授。フリーの著述家として、政治・経済について執筆・講演する一方、情報通信政策研究会の座長を務めている。NTT労働組合の政治学習会では、全般的な政治・経済に加えて、「これからの労働運動」「若者と政治」「NTTをめぐる規制と情報通信政策の動向」「地方分権時代の政策立案」など、多彩な内容の講演を行なう。著書に『小さな大国イギリス』(東洋経済新報社)、『社会の形而上学』『情報社会のコスモロジー』(共に、日本評論社)など。