森田浩之の政治コラム(最新回)

森田浩之の政治コラム

第246回 差別のない社会へ

すべての人が平等に扱われ、差別されない社会を築くためには、どうすべきか。ここに二段階の取り組みがある。ひとつは現実的に、差別されてきた人びとに対して直接的に差別解消の措置を採ること。もうひとつは特定の人びとを名指しすることなく、全員が平等に扱われるような理想的状況を創り上げることである。

すべての人が平等に扱われるとは、その人がどういう境遇にあろうとも、人間としてまったく同じ存在であるとして認識されることである。通常、差別される人びとはその社会の多数派から迫害されるから、これらの人びとは少数派(マイノリティー)と呼ばれる。

歴史上ここに属するとされてきたのは女性、民族少数派、性的少数派である。おそらく、ここに身体の不自由な人びとを含めるべきであろうが、障害のある人びとは差別されてきたものの、対策としては、差別の解消にはとどまらない、もっと大きな政策が必要であるため、上記の少数派とは別枠で議論すべきであろう。

というのも、女性、民族少数派、性的少数派に対する差別に取り組むためには、われわれの認識を変えることが必要不可欠であるが、障害者については、われわれの見方を変えるうえに、政策的な対応が求められる。これは上記の差別よりも高度な次元で議論されるべきことである。

前述で民族少数派という言い方をしているが、これは西洋の文脈で言うと、白人以外のその社会における人種的な多数派から隔離された小集団のことである。アメリカではアフリカ系、ラテン系、アジア系、ヨーロッパならばイスラム系、アフリカ系、ユダヤ系などである。

これをそのまま日本に当てはめるのはむずかしいが、それでも韓国系(在日)、アイヌ系など、日本にも少数民族への差別がある。ひどい差別があることは認識するが、以下では、民族については西洋的な観点から語っていく。

さらに性的マイノリティーという言い方をしているが、私自身、これらの人びとへの差別解消には取り組まなければならないと考えているが、どういう表現をすべきかは、当事者でないこともあり逡巡している。ということで、一応ここでは通常使われているLGBTという言葉を用いる。これがこれらの人びとに対する無礼な表現でないことを祈るのみである(さらにLGBTQ[questioningまたはqueer]もあるが、ここではLGBTで統一する)。

冒頭で、差別に取り組むには二段階の対応が必要であると述べた。第一段階が現実レベルで、特定のマイノリティーに対して個別に策を講じることである。そして理想的な第二段階は、マイノリティーという用語を使う必要がないくらい、全員が完全に同等に扱われる状態である。

この理想的な状況から述べると、出発点は意外なほど簡単である。それは「自分はどんな人間にもなりうる」という想定のもと、どういうタイプの存在になろうと、差別されないような社会のルールを築くことである。

自分が女性として生まれようと、社会において少数派の人種の一員であろうと、成長していく過程で多数派と異なった性的指向を獲得しようと、いずれにおいても差別されないためには、人を人として尊重する風土が不可欠である。

しかし一足飛びに理想的状態に行き着かないならば、善後策としてどうすべきか。制度的な変更はもちろん大事だが、まずは認知的な変化を起こさなければならない。そのためのひとつの概念が「ダイバーシティ」である。これは多様性を意味するが、いろいろな生き方に対して寛容になろうという意味で、現代では性的マイノリティーへの差別解消の取り組みとして注目されている。

しかし差別されてきた人びと全員にダイバーシティを適用しても、じつは差別の状況によって対策は変わる。嫌がらせのような精神的な圧迫に関しては、おそらくLGBTに対するものが最もひどいと思われるが、社会的な地位に就けるかどうかという点では、日本ならば女性に集中しがちである。また西洋においては、教育や就職、それらの集積である所得については、民族少数派への差別がクローズアップされる。

だからダイバーシティという用語は重要である一方で、これはさきほど述べた第二段階の理想論の概念であり、現実論においては個別の対応が求められる。

LGBTについては啓蒙活動が必要であろう。これに関しては法務省が取り組んでいる(http://www.moj.go.jp/JINKEN/LGBT/index.html)。「多様な性について考えよう」というサイトにはLGBTを「性的指向」と「性自認」として説明し「誰もが自分の性的指向・性自認を尊重され、自分らしく生きることのできる社会をみんなでつくっていきましょう」と呼びかけている。こういう地道な理解促進活動を続けていくしかない。

もちろんLGBTも就学や就職で差別されることはあるが、性別や民族と異なって、ひと目でわかることではないので、学校・職業・所得の面では女性と人種が議論の中心になる。ただしLGBTは見た目ではわからないと述べたが、それは彼らが隠しているからであり、カミングアウトできないことが彼ら・彼女たちの精神的苦痛を引き起こしていることは承知しておくべきであろう。

女性や(アメリカでは)アフリカ系の機会の平等については、クオータ制が考えられる。これは「日本大百科全書」(https://kotobank.jp)によると「人種や性別、宗教などを基準に、一定の比率で人数を割り当てる制度」のことで「政治における男女共同参画を実現するための代表的な仕組みの一つで、議員の一定割合を女性に優先的に割り当てる制度として、ヨーロッパをはじめ、アジアやアフリカなどの開発途上国でも積極的に導入されている」とある。

問題はこれが心情的にその社会で受け入れられるのか、多数派から「逆差別」という不満は出ないのか、少数派の側も「侮辱」と受け取らないか、ということである。こういう懸念があるのも、二段階の現実論と理想論が混同されていることにある。

最終的には理想論に向かうべきだが、先ほど述べたように当座はクオータ制など、現実的な対応を先行させることが必要であろう。

(このコラムは毎月1日と15日の月2回。次回は7月1日です)

【森田浩之プロフィール】

1966年生まれ、東日本国際大学客員教授。フリーの著述家として、政治・経済について執筆・講演する一方、情報通信政策研究会の座長を務めている。NTT労働組合の政治学習会では、全般的な政治・経済に加えて、「これからの労働運動」「若者と政治」「NTTをめぐる規制と情報通信政策の動向」「地方分権時代の政策立案」など、多彩な内容の講演を行なう。著書に『小さな大国イギリス』(東洋経済新報社)、『社会の形而上学』『情報社会のコスモロジー』(共に、日本評論社)など。