森田浩之の政治コラム(最新回)

森田浩之の政治コラム

第255回 政治を超えて

 

 若者の政治離れが語られるようになって久しいが、抜本的な解決策が見つかっていない。今年7月の参議院議員選挙では、全体の投票率が48.80%だったのに対して、18歳と19歳の投票率は31.33%だった(7月23日に発表された選挙区の速報値)。本当に彼らは政治に無関心なのだろうか。

 答えは「政治」の定義による。政治を「政局」と定義するならば、彼らは政治に興味はないし、ないことを咎めることもできない。しかし政治を「社会的課題の解決」と捉えるならば、私は彼らがそんなに腐っているとは思っていない。自分たちにとって喫緊の問題が生じていて、それを正すには政治の力が必要であるならば、政治に関わるであろう。事の本質は若者の政治的無関心ではなく、大人たちの政治の語り方なのではないだろうか。

 たしかに大臣の不正や失言は目に余るが、こればかりを報道するから、若者がしらける。これで社会の課題が自分たちの手の届かないところで扱われているという感覚が育ち、政治が単なるスキャンダルに貶められていると受け取られてしまう。7割は失言した大臣のせいだが、3割は面白おかしく報じるマスコミの責任でもある。

 こういう文脈で若者に政治の話をしようとすると、最初から聴衆が引いているのがよくわかる。講義の題名に「政治」と入っているだけで、政局のような自分たちにとってはつまらなくて、どうでもいい話が来るのではないかと構えてしまい、「ここで言う政治は社会的課題のことだ」ということを理解してもらえるまでに時間を浪費してしまい、肝心の話にたどり着くころにはタイムアップとなる。

 ならばいっそのこと「政治」という言葉を止めてしまったらどうだろうか。これは極端な意見だが、それでも政局と勘違いされるような事態を避けるためには、別の用語を使ったほうがいいような気がしている。若者の心にも響いて、それでいて政治の本質を捉えるためには「社会的課題の解決」という言葉を用いたほうがいいだろう。

 「政治」というと政策の決定過程ばかりに焦点が当てられてしまうが、本来は対処すべき課題自体を浮き彫りにすべきである。そしてとくに若者にとって関心がありそうな課題を採り上げて、「解決策をみんなで考えましょう」と問いかければ、彼らは食いついてくるはずである。

 もちろんすべての課題が彼らの琴線に触れるわけではない。かつてなんども「みなさん、このままでは将来、年金をもらえなくなります」と脅しても、彼らはぜんぜん乗ってこなかった。いまになって正直に言えば、乗ってこないことがわかっていて、無理に押しつけていたと反省している。というのも、人間が遠い将来の危険性を割り引いて考えてしまうこと、要するに、やばいとは思っていても、危機が切迫していないと、すぐに手当てしなければならないという緊急性を感じられないことは経済学では常識であって、そのことは当時からわかっていたからである。

 だからわれわれがすべきことは「政治に関心を持ってください」と説教するのではなく、彼らにとっての社会的課題をたずねることである。こちらから若者に対して「話す」のではなく、われわれは黙って、彼らに話してもらい、こちらが「聞く」ことである。われわれのほうから「こういうことに関心を持つ『べき』だ」と強制するのではなく、彼らに自由に話してもらい、そこから彼らの関心を探ることである。

 たしかに古いわれわれの世代に比べて、いまの若者の世代では、人間関係が希薄になったと言われる。人と関わることが少なくなれば、社会性や公共性が浸透せず、みんなに降りかかる社会的課題に興味を持たなくなるだろう。しかし一部には地球温暖化や環境問題、さらには貧富の格差や安保法制について、積極的に行動している若者もいる。自分たちの未来に関係することがわかれば、率先して社会と関わろうという若者はたくさんいるのである。

 だから「政治」という言葉を止めてしまおう。そしてこれに代えて「社会的課題の解決」という言い方にしよう。しかしこれは政治を含むより大きな概念である。気候変動やゴミ問題など、社会的課題は山積する。しかしそれらのすべてが政治の対象ではない。思いつくかぎりでも、社会的課題は「市場」「権力」「技術」で解決できる。

 たとえば気候変動は市場的な取引で解決できると主張する人がいる。そういう人たちにとっては市場の働きこそが社会的課題の万能薬となる。しかし別の人たちは政治的解決、すなわち権力を背景にした規制によってでしか、地球温暖化は止められないと考える。またグーグルのようなハイテク企業は環境だけでなく貧困など、あらゆる社会的課題は技術で解決できると想定している。だから必ずしも「社会的課題の解決=政治」ではないが、社会的課題を解決するために権力を使うのかどうかと問えば、若者の理解も深まるだろう。

 ただし政治を「権力」と言い換えることへの反論もある(まさに私がそうである)。私がいつからか政治という言葉を嫌うようになったのは、私にとっての理想が合意形成であり、世間で言う政治がその真反対の権力だったからである。そしてこの場合の権力は(世論か、議会の)過半数を制すれば、無制限に行使できるものと捉えられている。私はこのような多数決主義も、若者の政治離れを加速していると見ている。

 要するに50%+1票を獲得すれば、どんどん法律を通せて、トップダウンで違反する者を罰することができるという手法である。私の言う合意形成は「答え先にありき」ではなく、生活の現場からボトムアップでお互いの理解を深めていくやり方である。

 若者の政治的無関心は「なにも話を聞いてもらえない」という苛立ちの具体的表現である。だからこそ対話を積み重ねることで少しずつ日常から合意を形づくらなければならない。この姿勢が定着すれば、若者は社会に関心を持ち始めるはずである。


(このコラムは毎月1日と15日の月2回。次回は12月1日です。)

【森田浩之プロフィール】

1966年生まれ、東日本国際大学客員教授。フリーの著述家として、政治・経済について執筆・講演する一方、情報通信政策研究会の座長を務めている。NTT労働組合の政治学習会では、全般的な政治・経済に加えて、「これからの労働運動」「若者と政治」「NTTをめぐる規制と情報通信政策の動向」「地方分権時代の政策立案」など、多彩な内容の講演を行なう。著書に『小さな大国イギリス』(東洋経済新報社)、『社会の形而上学』『情報社会のコスモロジー』(共に、日本評論社)など。