森田浩之の政治コラム(最新回)

森田浩之の政治コラム

第220回 憲法の役割

改憲論議は「日本国憲法の文面を変えるかどうか」と「憲法をどう定義するか」のふたつの次元で進んでいる。そして前者の課題は9条に自衛隊を追加するかどうかである。

9条「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

自民党はここに自衛隊を明記したいと考えているが、上記の「2」項を残すか、削除するかで意見が分かれている。昨年12月20日に自民党憲法改正推進本部が出した「憲法改正に関する論点取りまとめ」には以下のようにある。

「自衛隊がわが国の独立、国の平和と安全、国民の生命と財産を守る上で必要不可欠な存在であるとの見解に異論はなかった。そのうえで、改正の方向性として以下の二通りが述べられた。」

「①『9条1項・2項を維持した上で、自衛隊を憲法に明記するにとどめるべき』との意見」「②『9条2項を削除し、自衛隊の目的・性格をより明確化する改正を行うべき』との意見」

ただ自民党は2012年4月27日に「日本国憲法改正草案」を出している。それによると「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。」

「第九条の二 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。」

「2 国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。」

「3 国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。」

「4 前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。」

「5 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。」

「第九条の三 国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。」

現在進行中の自衛隊明記の議論は、2012年の改正草案の延長上にある。防衛のための軍組織を合憲化することで、活動範囲を拡大しようという目的である。

反対論のなかに「自衛隊を憲法に明記すれば、自衛隊が実際に行うことが合法化されてしまう」というのがあるが、改正草案のように具体的に国防軍の活動を列挙すれば、国防軍の実際の活動が適用の枠内であるかぎり、それが合憲と解釈される。

だから少なくとも、いま必要なことは、拙速に改正に走るのではなく、「自衛隊」(または「国防軍」)が憲法に明記された場合、それが何を意味するのか、時間を区切らずに徹底的に吟味することである。

その点、まず「憲法とは何か」を議論していく必要がある。改憲論者は憲法を「国のかたち」と捉え、護憲論者は「権力を縛るもの」と定義する。どちらが正しいのか。

「憲法」を辞書で調べると「1 基本となるきまり。おきて。2 国家の統治権・統治作用に関する根本原則を定める基礎法。他の法律や命令で変更することのできない国の最高法規」とある(goo国語辞典)。

改憲派の「国のかたち」が何を意味するかであるが、狭義の「国家」つまり「統治機構」を意味するならば、「国のかたち」も「権力を縛るもの」も正しい。

というのも「統治権・統治作用に関する根本原則」は、立法府・行政府・司法府という意味での(狭義の)国家が活動できる範囲を規定しているから、それは実質的には権力への制約として働く。

そしてまさにこれが(狭義の)国家(=立法府・行政府・司法府)の「かたち」である。

しかし改憲派の「国」が(狭義の)国家(=上記の統治機構)だけではなく、統治される側の国民のことをも含んでいるならば、それは拡大解釈である。

もし憲法が統治機構(=立法府・行政府・司法府)だけでなく、国民の行動をも制約するものであるならば、それはそもそもの憲法の役割を逸脱している。

憲法は民主主義制度の一部であり、それは西洋から輸入されてきた。だから「それが正解」というわけではないが、とりあえず英語でどうなっているか見てみよう。

憲法は「コンスティテューション」(constitution)で「とくに国家が統治する国民の権利との関連で、それによって国家またはその組織が支配される、政治原則のセット」(the set of political principles by which a state or organization is governed, especially in relation to the rights of the people it governs)である(Cambridge Dictionary)。

厳密に慎重に確認するために、直訳し、原文も併記した。ここから意訳に入るが、核は「一連の政治原則」である。要するに憲法は「政治の規則集」である。

次が「その原則によってステートやオーガニゼーションがガバーンされる」の部分だが、それは「国家または組織が支配される政治原則」のことである。つまりこの規則集によって国家または組織(=統治機構)を支配するということだから、ここでの「支配される対象」は立法府・行政府・司法府の統治機構である。

重要な点は、憲法という規則集は「統治機構を支配する原則」ということである。

そして「especially」以下は「とくに国民の権利との関連で」となり、それに続く部分は「国家が統治する国民」のことである。

面倒な説明になっているのは、二回「ガバーン」(govern)が出てくるためだが、はじめの支配される対象は「統治機構」であり、あとの支配される対象は「国民」である。

統治機構は国民を支配するのだが、その統治機構は憲法によって支配されるという二重構造になっている。

そして憲法は統治機構の上位に位置し、その憲法は統治機構に支配される国民の合意によって決定されるという循環関係になっている。だからやはり憲法は「権力を縛るもの」である。

(このコラムは毎月1日と15日の月2回。次回は6月1日です。)

【森田浩之プロフィール】

1966年生まれ、東日本国際大学客員教授。フリーの著述家として、政治・経済について執筆・講演する一方、情報通信政策研究会の座長を務めている。NTT労働組合の政治学習会では、全般的な政治・経済に加えて、「これからの労働運動」「若者と政治」「NTTをめぐる規制と情報通信政策の動向」「地方分権時代の政策立案」など、多彩な内容の講演を行なう。著書に『小さな大国イギリス』(東洋経済新報社)、『社会の形而上学』『情報社会のコスモロジー』(共に、日本評論社)など。