森田浩之の政治コラム(最新回)

森田浩之の政治コラム

第224回 党首討論のゆくえ

首相の答弁が長いことで「党首討論の歴史的使命は終わった」という議論が出てきた。これを機に、党首討論の意義について再考するのもよいかもしれない。初回は1999年である。小渕恵三首相の時代で、野党は民主党の鳩山由紀夫代表、日本共産党の不破哲三委員長、社会民主党の土井たか子党首であった。

始まりは日本にも、イギリスのような「クエスチョン・タイム」を導入しようという発想であった。政権交代可能な政治システムのお手本として英国があり、与党と野党の一騎打ちとして、英国でクエスチョン・タイムが注目されているため、日本にも同様の討議の場があれば、二大政党制に近づけるのではないか、少なくとも、英国的な政策論争になるのではないか、ということである。

本国では、1997年の労働党ブレア政権の前までは、週2回、15分ずつ、計30分間行われていたが、ブレアは議会に取られる時間が長過ぎるという考えから、週1回、水曜日の午後に30分間の「首相へのクエスチョン・タイム」に変更した。

日本の「党首」討論は文字通り、党首どうしの討議の場であるが、イギリスでは「首相への」質問の時間であって、回答者は首相であるが、質問者は党首に限定されない。

イギリスはユニークな政治システムを採っており、野党第一党は「公式反対党」として、公的な役割を与えられている。だから野党第一党の党首は、クエスチョン・タイムでも、優先的に質問の時間が与えられる。

質問の「時間」と書いたが、実際のところは時間ではなく、質問「数」が割り振られる。現在は水曜日12:00~12:30であるが、第一質問者は与党か野党の一般議員で、最初が野党だと、次に与党の一般議員に行き、いよいよ野党第一党の党首の出番となる。

質問数は6つと少なく思えるが、長々と演説するわけではなく、簡潔な批判と簡潔な質問でも、ひとつの質問に1、2分かかる。そして首相の回答も、余計な長話をするわけではないが、回答しつつ、野党の姿勢を批判するので、やはり1、2分かかる。

すると首相と野党第一党代表のやり取りだけで、最初の15分が終わってしまう。あとは与党、野党が交互に質問していき、12時半になると打ち切られる。

英国における「首相への質問の時間」の意義は、これくらいしか首相が議会で質疑に応じることがない、という単純明快な理由である。首相が議会に登場するのはこれだけではなく、首相が出席したEU(欧州連合)などの大きな首脳会議があった直後には、もう少しまとまった時間、首相は野党第一党の党首や、一般議員の質問を受ける。

しかしクエスチョン・タイムの重要なところは、サミット後の特別セッションでは、議論するテーマが最初から決まっているのに対して、クエスチョン・タイムでは、野党第一党の党首も、野党第二党の党首も、野党第三党の党首も、一般議員も、テーマの制約なしに、自由に質問できることである。

ただし、誤解のないように言えば、事前通告なしに、首相が即興で、当意即妙な回答をすることが、リーダーの資質と思われるかもしれないが、政治の世界では、これは質問者にとっては何の意味もない。

首相がどれほど器用な、頭の回転の速い人であっても、政治家の力量は何かを実行することにある。具体的に事を成し遂げるためには、各方面と調整しなければならないから、首相の一存では決められない。そんなことをしたら、民主主義ではなくなる。

一般議員が事前通告なしで、本来なら政府内の調整が必要な案件について、首相に唐突に質問したら、首相が優れた頭脳の持ち主であるならば、うまくいなして、何事もなかったかのように、次の質問に移ればよい。首相とはいえ、各省庁の権益を超えて、すべてをトップダウンで押しつけることはできないからである。

しかしその案件が本当に達成すべき目標であるならば、事前通告して、政府内の根回しを済ませる時間を与えて、儀式として、クエスチョン・タイムという公の場で、首相の口から「それをやらせます」と言わせなければならない。だから本当に何かを成就したいならば、政府の確約を取ることを目的に、質問は事前通告しておかなければならない。

こういう背景を知っておくと、イギリスのクエスチョン・タイムで、首相と野党第一党代表のストリート・ファイトが終わった後の、地味なやり取りのほうが、政治的には意味があるのがわかる。首相の口から確約を取る、ということは、一般議員にとっては「政府が動いてくれた」という勝利の瞬間である。

とはいえ英国でもクエスチョン・タイムの見どころは、首相と野党第一党代表との一騎打ちである。これがなぜ大事かと言えば、既述のように、基本的にこれが、首相が直接、議会に語りかける唯一の場だからである。

首相にある課題について政治姿勢を質すと、首相がそれに答えるが、これが政府の方針に関する公式声明になるから、国中が「政府はこの方向に進む」という予測のもと、みずからの行動を変えていく。一見、叫び合い、ののしり合いをしているようだが、実際のところは、首相の考えていることをじかに聴く、唯一のチャンスであると見なされている。

私は「イギリスがこうだから、日本もこうすべき」という議論には乗りたくない。日本には、日本のやり方があるべきだろう。しかし政治システム全体における位置づけが異なっている以上、むしろもっと日本的なやり方を考えてもよいのではないか。

その意味では「予算委員会があるから党首討論はなくてもよい」という見解にも一考の価値はあるかもしれない。とはいえ、改めて確認すべきは、予算は1年間の国政のあり方を決めるものであり、その編成・執行について審議される予算委員会は重要な場だということである。だから、そこで首相が長々と答弁をくり返すようでは、本末転倒となる。その反省が1年半ぶりに開かれた5月末の党首討論に活かされなかったのは、とても残念であった。

(このコラムは毎月1日と15日の月2回。次回は8月1日です。)

【森田浩之プロフィール】

1966年生まれ、東日本国際大学客員教授。フリーの著述家として、政治・経済について執筆・講演する一方、情報通信政策研究会の座長を務めている。NTT労働組合の政治学習会では、全般的な政治・経済に加えて、「これからの労働運動」「若者と政治」「NTTをめぐる規制と情報通信政策の動向」「地方分権時代の政策立案」など、多彩な内容の講演を行なう。著書に『小さな大国イギリス』(東洋経済新報社)、『社会の形而上学』『情報社会のコスモロジー』(共に、日本評論社)など。