森田浩之の政治コラム(最新回)

森田浩之の政治コラム

第210回 合意形成型民主主義

リベラルデモクラシー(自由民主主義)は権利を確実のものとするために、国民ひとりひとりが意思決定過程に参画できる社会をめざす政治理念である。

これは自由主義と民主主義との複合形態であるが、それは自由を保持するためには、民主的な政治制度でなければならないことを意味している。

自由主義と民主主義は西洋近代に端を発しており、それまでの絶対王政下で、国民が抑圧される生活を余儀なくされてきたからである。武力によって統治する暴君のもと、政府に反対すれば弾圧される国家形態を経験して、人類は表現の自由、言論の自由、内心の自由、信教の自由を獲得した。

自由は人びとが有する資格を内側から範囲づけしたものである。個々人は能力を最大限自由に発揮できるが、それは内から外に向けて行使される。

自由を外部の視点から規定し直すと権利として再定義される。人は自由に発想し、表現して、行動できるが、他者とくに絶対権力を持つ政府がそれを邪魔しようとする。だから個人が保有すべき権利を明文化することで、外からの制約を非合法化する。

ゆえに自由は人が外部に向けて発揮する能力であり、権利は外部者がそれを阻害してはならないことを明示するために、外部が侵入できる境界として線引きされる。

言論の自由は人が内側から外側に対して行使されるが、言論の自由を権利として規定し直すと「他者は言論を封殺してはならない」ということを共通了解とするために、個人が有すべき資格として再認識される。

リベラルデモクラシーの核心は個人の自由と権利を確保することであるが、それを制度化するために、民主主義が必要になる。民主主義は政治的な意思決定や国家にゆく末について、国民ひとりひとりが政策過程に参加する制度である。

民主主義はそれ自体が崇高な理念であり、実現のために努力しなければならないが、厳密に言えば、民主主義は自由と権利を維持するための措置であり、手段である。なぜなら絶対権力が意思決定者である場合、国民の権利を侵害する可能性が高いからである。

反対から言えば、国民ひとりひとりに意思決定権が与えられていれば、わざわざ自分から権利を放棄する人はいないから、民主主義が制度化されていれば、自由と権利は確実なものになる。

民主主義が手段に過ぎないのは、一方では、このように民主主義が確立されていれば、自由と権利が安全だということと、反面では、自由主義と民主主義がたまに相反してしまうためである。

自由主義は人間の自由と権利を不可侵のものとする理念であり、民主主義は国民ひとりひとりが意思決定に関与する制度であるが、これがまれに逆方向に行くことがある。それは人権を侵害する政府を国民が選んでしまうことである。

現代でも、ロシアのプーチン、トルコのエルドアン、フィリピンのドゥテルテは、国民の多数の支持を得て政権に就いたが、実際には反体制派を武力で弾圧している。

ロシアでは政府に批判的な野党政治家が別件で逮捕され、拘束されており、トルコでは反体制ジャーナリストが警察の捜索を受け、勾留されたりしており、フィリピンでは麻薬取引の容疑者が逮捕・立件・裁判という正式な手続きを経ずに、次々に現場で射殺されている。

ロシアの場合はプーチンが国民の圧倒的な人気を維持しているため、一部に批判はあるものの公然と弾圧をくり返し、トルコではさまざまなデモが起こりつつも、大統領権限を強化する憲法改正を成し遂げ、フィリピンにおいては麻薬犯罪という悪を撲滅するため、超法規的措置が国民の大多数の支持を背景に厚顔無恥に遂行されている。

これらはイリベラルデモクラシー(非自由主義的民主主義)の代表例である。三国とも制度的には選挙という民主政を採用しているが、結果的には人権侵害を平然とやってのけている。

これらは多数決型民主主義の危うさを示しているが、これらほど非合法的ではないが、最近、世界各国で多数決型民主主義が行き詰まりを見せている。

過半数を獲得すれば、すべてを決められるという制度は、スピード面で優れているが、勝者と敗者が僅差であればあるほど社会の不満は募り、不満が残れば残るほど批判勢力を弾圧する力は強くなる。

多数決主義のもとでは、多数による圧政という危険性があり、近年のように、ひとつの案件をめぐり社会が分断されると、暴政の威力は増幅される。

代表例がブレグジットとトランプである。ブレグジットについては離脱と残留との差は52%対48%とわずかだが、出るか残るかという選択肢はイチかゼロだから、中間的な解はなく、多数派がすべてを押し流してしまう。

トランプの場合は、投票総数ではクリントンのほうが過半数を超えたものの、州ごとの集計という歪んだ選挙制度のため、トランプが大統領府を奪っていったが、これによって施政全般で共和党が反対派を合法的に弾圧している。

アメリカでは下院は共和党が優位だが、上院は51対49という僅差で共和党が過半数を維持している。しかし法案は党派の線引き通りに可決するため、51%の票で政策の100%を強奪していく。

スピードは大事だが、それが49%を無視することであるならば、多数決型民主主義には根本的な欠陥があると認めざるを得ない。このことは日本にも当てはまる。特定秘密保護法、集団的自衛権を可能にする安全保障関連法、共謀罪など、議会の多数派が反対勢力の主張を無視して100%持っていく制度は、真の民主主義とは言えない。

われわれは遅々として進まないことに我慢しつつ、合意形成をめざす方向に変えていかなければならない。これこそが本当の意味で、国民全員の自由と権利が確保される民主主義である。

(このコラムは毎月1日と15日の月2回。次回は1月初旬です。)

【森田浩之プロフィール】

1966年生まれ、東日本国際大学客員教授。フリーの著述家として、政治・経済について執筆・講演する一方、情報通信政策研究会の座長を務めている。NTT労働組合の政治学習会では、全般的な政治・経済に加えて、「これからの労働運動」「若者と政治」「NTTをめぐる規制と情報通信政策の動向」「地方分権時代の政策立案」など、多彩な内容の講演を行なう。著書に『小さな大国イギリス』(東洋経済新報社)、『社会の形而上学』『情報社会のコスモロジー』(共に、日本評論社)など。