森田浩之の政治コラム(最新回)

森田浩之の政治コラム

第206回 理念で政治を見る

西洋民主主義国では、二大政党制か(アメリカ、イギリス)、二大政党プラス小党分立の場合(ドイツ)、二大勢力は「センターライト(中道右派)対センターレフト(中道左派)」または「保守対リベラル」とラベリングされる。

ただこれは明確な線引きのできる区分けではなく、相手との関係でズレの生じる相対的な概念である。

たとえばイギリスの保守党はセンターライト、労働党はセンターレフトと呼ばれるが、それは「中間派を含んだ右側」「中間派を含んだ左側」という意味である。

しかし2015年に社会主義者のジェレミー・コービンが党首に選ばれてからの労働党はむしろ正真正銘の「レフト」と認知され、中間層の取り込みを放棄したように見える。

とはいえ、背景にはむずかしい課題がある。社会主義者のコービンが最初に党首に選ばれると、中道派(ブレア系)はコービン降ろしに乗り出すが、今年の総選挙で労働党が票を伸ばすと、反コービン運動は収まっていく。

コービン労働党が議席を増やしたのは、貧富の格差が拡大し、富者と貧者が二極化して、それまで「センター」(中道)が票田としていた中間所得層が没落したからである。

だから現在の経済状況で富んでいる人たちは引き続き、センターライト政党を支持するが、富の偏在によって不利な立場に追い込まれた貧困層は、大挙してレフトに向った。

そもそもライト/レフトの対立軸は1789年のフランス革命後の議会構成に始まる。

当時はまだ王制が残っており、議会は法律可決後の王の拒否権をめぐって対立していた。それまでの社会階層は貴族と農家の二つに分断されており、それぞれが富者と貧者を代表していた。

そこに第三身分のブルジョワジーが現われる。彼らは貴族の称号は持たないが、絶大な財力で投資をし、工場を建てて、そこで労働者を雇い、繊維などの製品を作らせて市場で売り、収入から給与プラス設備投資費を引いた利潤で生活する中産階級である。

これら三者が議会を構成していたが、王制の存続を望む貴族は王の拒否権を認めさせたい。対する奴隷状態から解放されたい農家は国王の拒否権どころか、王制を廃止したい。新興勢力の第三身分は、自由な商業を是とするから、農家と一緒に王制の廃止に傾く。

この時、議長から向かって右側に貴族がいたために、旧体制派を「ライト」とした。

またフランス革命を批判したイギリスのエドマンド・バークが、人間の理知的な判断力ではなく、歴史の試練に耐えた伝統や慣習を重視したため、旧体制派の思想が「保守」と名づけられた。

だからライトは当初「昔からあるものを残そう」という意味であった。それが200年の時間の経過で内容が豊かになり、現在のような複雑な姿になった。

かたやフランス革命後の議会で左側にいた勢力は、王制の廃止を望むから、体制の根本的な転換を求める。そしてこれはバークが批判した人間の合理的な判断力に基づくから、歴史の試練に耐えた方法よりも、人間の理性を優先する。

これは革命的な思想に至るだけでなく、社会システムを「計画」という発想で変革しようとする。

既述のように、ライト/レフトは相対的な概念で、どちらかが相手の陣営の近くに来ると、相手は狭い領域のなかで理念を先鋭化させる。

たとえばセンターライトが、センターレフトの十八番である福祉政策を導入すると、レフトはセンターを捨てて左傾化して、中間所得層に有利な福祉政策ではなく、低所得者に特化した社会主義的な平等政策を採用し始める。

そしてそのセンターレフト政党が、センターを捨てて、レフト政党として理念を極端化すると、中間層の票を失い、万年野党に陥っていく(1980年代の労働党)。

確認すれば、センターライト(保守)は歴史の試練を生き抜いてきた伝統を大切にし、その分、人間の理性に期待をかけない。センターレフト(リベラル)は人間の洞察力や将来を見通す能力を高く評価し、論理的な想像力が創り上げるグランドデザインに基づく社会変革を試みる。

だから右派は大改革を嫌い、漸進的な変更を支持し、左派は革命を求め、「古いからいい」という発想を捨てる。

これによって資本主義への態度も二分化する。保守は人間の設計能力をサル知恵として否定し、個人の盲目的な行動によって自然に、社会的資源が自動調整的に配分される市場経済原理に期待する。

リベラルは資本主義を野放しにしておくと、貧富の格差が拡大するから、政府が市場を管理しなければならないとする。

つまり人間の監督能力に期待しているから、市場よりも政府のほうが、言い換えれば、経済よりも政治のほうが社会的影響力を持つべきだと考える。政府を司る人間の設計能力を信頼しているためである。

現在、世界中でセンターレフトが劣勢に立たされている。それは市場がもたらす害悪(市場の失敗)と、政府がもたらす害悪(政府の失敗)で、政府の失敗のほうか大きいと見られているためである。それほど政治不信が深刻化している。

ただこれによって、市場の失敗の最たるものである貧富の格差が悪化している。本来なら、いまこそ人間の理性が見直されるべきであるが、特に日本を見ると、保守が政界を征服しそうである。

(このコラムは毎月1日と15日の月2回。次回は11月1日です。)

【森田浩之プロフィール】

1966年生まれ、東日本国際大学客員教授。フリーの著述家として、政治・経済について執筆・講演する一方、情報通信政策研究会の座長を務めている。NTT労働組合の政治学習会では、全般的な政治・経済に加えて、「これからの労働運動」「若者と政治」「NTTをめぐる規制と情報通信政策の動向」「地方分権時代の政策立案」など、多彩な内容の講演を行なう。著書に『小さな大国イギリス』(東洋経済新報社)、『社会の形而上学』『情報社会のコスモロジー』(共に、日本評論社)など。