森田浩之の政治コラム(最新回)

森田浩之の政治コラム

第198回 パワーポリティクス

国内では多くの地域でリベラリズムが浸透しているが、国際関係ではまだ「力」が支配している。北朝鮮の挑発行為や5月のトランプ大統領の海外訪問は、世界情勢が「力」で成り立っていることを見せつけた。

北朝鮮の度重なるミサイル発射は言語道断だが、「圧力」をかけることで解決することはないだろう。これほどの暴挙に出るということは、先方もそれなりの覚悟でやっていることを承知すべきである。

外部から見ているだけであるが、北朝鮮の行為に歯止めがかからなくなったのは、想像するに、アメリカの戦略が明らかになって以降である。アメリカは「すべての選択肢がテーブルにある」として、軍事行動の可能性をほのめかしたが、この時、メディアにリークされたシナリオに「キム・ジョンウン暗殺」が含まれていた。

当然、北朝鮮もこの情報を仕入れているだろうから「どうせ殺されるなら巻き添えだ」という認識に至ったとしても無理はない。自爆テロリストに「殺すぞ」と脅しをかけるようなもので、圧力に効力がないどころか、相手の行動をエスカレートさせてしまう。

何をデフォルト状態と見るかによって現実は異なって見えるが、普通は「北朝鮮がミサイル実験と核兵器開発を放棄する」があるべきデフォルト状態だから、圧力でこの線にまで戻そうとする。

しかしここまで事態が悪化したら、不承不承ではあるが、挑発行為をくり返す現在の状況をデフォルトとするしかないのではないか。実験を止めてくれれば御の字ということである。

そのためには「圧力」の正反対で、国際政治では採用されにくい戦略であるが、日米中韓の外相が北朝鮮を訪問する「懐柔」を採用するくらいの飛躍があってもよいだろう。

少なくとも「パワー」の衝突が大戦争をもたらしたことは、心に留めておくべきである。「圧力をかければ相手は引く」というのは歴史を見るかぎり、幻想である。この思い込みが過去、多くの悲劇を引き起こした。

北朝鮮ほどシリアスではないが、トランプの海外訪問もパワーポリティクス満載だった。「握手」がこれほど話題になったのはトランプ就任以来だが、今回も行く先々で、握手がパワーの象徴となった。

トランプのアルファメイル(ボスザル)ぶりは有名だが、これが握手という本来なら平和的作法で発揮されたのは、まず安倍首相との会見だった。

トランプはワシントンを訪れた安倍氏の手を、相手が目を丸くするほど19秒も握って放さなかった。新聞はトランプが優位性を示そうとしたと解説した。

次にドイツのメルケル首相がホワイトハウス執務室に来た時、トランプは報道陣の「握手してください」という要請を聞き流し、メルケルの目配せを無視した。具体的に何かは不明だが「気に入らない」という雰囲気を出したかったようだ。

こういう流れだから、カナダのトルドー首相も警戒し、トルコのエルドアン大統領の時も、メディアは双方のボディランゲージに注目した。

トランプ外遊はサウジアラビア、イスラエル、バチカンではうまくいったが、ブリュッセルのNATO首脳会議、シシリー島でのG7サミットでは、トランプのボスザルぶりが前面に出た。要するに、彼はヨーロッパ人が嫌いなのである。

サウジアラビアには人権問題があり、イスラエルはパレスチナ問題で国際世論を敵にしているが、トランプはこういうところのほうが居心地がよいようだ。一方で人権、民主主義、国際協調、異民族への寛容を重視するヨーロッパでは、アルファメイルになろうと虚勢を張る。

トランプの武器が握手であるが、フランスの新大統領マクロンはトランプとの会見で、相手の手が白くなるほどギュッと握りしめると、しばらく放さなかった。業を煮やしたトランプが手を開いても、マクロンは握り続け、翌日の新聞は「握手の闘いで、マクロンの勝利」と書いていた。

あまりに低俗な話だが、この手法を持ち込んだのはトランプである。それくらい、まだ国際舞台は相手への「優位性」がモノを言う場である。

マクロンは就任早々だが、6月に議会選挙を控えており、この時点で「大統領らしさ」を発揮しなければならない。その点、彼の潜在能力には計り知れないものがある。

5月下旬にロシアのプーチン大統領がフランスを訪問した。かたや新任の若造で、対するは長年パワーポリティクスを勝ち抜いてきた百戦錬磨である。

しかしベルサイユ宮殿でプーチンを待ち構えるマクロンは堂々としており、プーチンの手をがっちり握ると、さらに左手で相手の右手首を軽く握った。プーチンもそれに呼応してマクロンの右手首に手を添えた。

ここで相手への敬意からプーチンが軽く頭を下げるが、マクロンは微動だにしない。握手が終わって、二人揃って歩き始めると、マクロンのほうからにこやかに話しかける。

会談直前の写真撮影では、マクロンが微笑みながら周囲を見回す一方、プーチンは冴えない顔で眼をさまよわせるが、ふとマクロンのほうを見てしまう。不安な子どもが親を探すような目つきである。

悲しいことに、これらすべてがシナリオで動いている。ロシアのように、報道が選挙結果を左右することがない国では、テレビに映る一挙手一投足を気にする必要がない。

しかし西洋民主主義国では、カメラの前の態度や表情で、選挙結果が変わってしまう。その際、有権者が求めているものが「強いリーダー」または「相手になめられないリーダー」である。

こういうことを続けることに意味があるとは思えない。われわれは真の民主主義が「強さ」と両立しないことを理解すべきである。

(このコラムは毎月1日と15日の月2回。次回は7月3日です。)

【森田浩之プロフィール】

1966年生まれ、東日本国際大学客員教授。フリーの著述家として、政治・経済について執筆・講演する一方、情報通信政策研究会の座長を務めている。NTT労働組合の政治学習会では、全般的な政治・経済に加えて、「これからの労働運動」「若者と政治」「NTTをめぐる規制と情報通信政策の動向」「地方分権時代の政策立案」など、多彩な内容の講演を行なう。著書に『小さな大国イギリス』(東洋経済新報社)、『社会の形而上学』『情報社会のコスモロジー』(共に、日本評論社)など。