森田浩之の政治コラム(最新回)

森田浩之の政治コラム

第204回 自分のなかの悪魔性

人種差別にはいろいろな形態がある。一番有名なのはアメリカにおける白人による黒人差別であるが、その他にも、イギリスにおけるインド・パキスタンなどの南アジア人に対する蔑視もあれば、ヨーロッパにおけるユダヤ人排斥や、現代ではイスラム教徒への迫害もある。

世界的に見れば、ヨーロッパおよびそこを起源とする白人による有色人種に対するものが差別としては目立つが、日本人も中国人や韓国人に対して差別意識を持っており、同じ白人のように見えながら、ヨーロッパではスラブ系(東欧・バルカン半島・ロシア)も格下とされている。

ヨーロッパ内でも、アングロサクソン(イギリス)やゲルマン(ドイツ)は他民族を下に見ており、イギリスでは、イングランドがアイルランドを暴力的に併合したため(1801年)、これ以後、紛争が絶えなかった。ただこれらは「差別」とは言いがたい。。

白人どうしでもアメリカでは、カトリックがプロテスタントに迫害されてきたが、これは宗教とともに、貧富の格差も関係している。

アメリカの支配層を「ワスプ」(WASP)と言うが、これは「ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント」のことで、イングランドを起源とする新教派が、イギリス国内の構図をそのまま新大陸に持ち込んで、ケルト系で旧教派のアイルランドなどの出身者を見下してきたということである。

そして民族相互の対立は、社会階層にも反映されて、プロテスタントは都会や郊外で裕福な生活をして、支配的な職業に就き、一方アイルランド系は、イタリア系などとともに、貧しい地域で育ち、低所得の職業に従事してきた。

差別の現実は枚挙にいとまがなく、それらをすべて数え上げると、かえって差別の根源がぼやけてしまう。そのため、アメリカにおける白人による黒人差別と、ヨーロッパにおけるイスラム教徒迫害と、日本における東アジア人排斥を念頭に置く。

なぜ白人は黒人を差別するのか。起源は奴隷制であるが、なぜ奴隷制が始まったのか。心情面からアプローチするならば、白人がアフリカ人を「人間」と思っていなかったことである。

現代でも、白人至上主義者は白人と黒人を隔離し、生活圏を別々にして、双方が交流しないようにすべきだと考えている。そのなかには、まだアフリカン・アメリカンを「劣る」と見ている人がいるだろう。さらにはアフリカ系を含めた有色人種が増えることで、白人の領域が浸食されていくことに危機感を抱いている人もいるだろう。

だからアメリカで問題になっているのが、黒人の参政権である。アフリカ系住民は比較的貧しく、身分証明書を持っていない人が多い。ゆえに選挙の際にIDカードを提示しないと投票できない厳しい州では、黒人の投票率は低い。

ここには同じ人間を肌の色で区別して、人間とは見なさないというメンタリティが働いている。これはどこから来るのだろうか。正直、いくら関連資料を調べても、私にはまったく想像できない。

しかしそれでも無理に推測するならば、そこには恐ろしい「優越感」というものがあるような気がする。もちろん自分の領域が脅かされる危機感はあるものの、だからといって多数の白人が黒人の能力を怖れているわけではない。

むしろ白人は黒人を見下しており、害虫のような存在と見ているだろう。そして数だけは増えていく悪疫に浸食されないように、水際で止めるために、差別しているというのではないか。

そしてそのような差別が制度化されることで、アフリカ系アメリカ人のライフチャンスは狭まっていき、もっと貧しくなって、ハーレムから出られなくなっていく。そこでは犯罪によってでしか生き残れないから、殺人・強盗・麻薬が横行していく。

すると黒人による犯罪が増えて、多くの白人のなかに「黒人イコール犯罪者」という構図が出来上がり、それがさらに差別を助長する。

本来なら一人ひとりの黒人はトムであり、ジョンであり、マイケルであるはずだが、われわれは不特定多数のアフリカ系をひとまとめにして「黒人」と総称し、そこに「犯罪者」や「低知能」などの名札をくっつける。

似た構図がヨーロッパにおけるイスラム教徒への迫害である。元々は近代ヨーロッパ諸国の植民地政策で、本国の労働力不足を補うために、中東からアラブ人を本国に連れてきて、それがそのまま自国民化したのだが、ヨーロッパ各国は地元の白人優位主義から、イスラム系にはまともな職を与えず、低所得を甘受させてきた。

貧しいからスラム街に住み、白人から見下されているという劣等感と日々戦いながら、白人のための下働きばかりされられる。親も、その親の世代も、家では白人に対する恨み話しかしないから、イスラムの若者は白人への憎悪を抱いて育っていく。その一部が過激思想に汚染されると、一連のテロ行為を引き起こす。

ここにも白人の「優越感」から来る身分制度と、その階層化に起因する貧富の格差が、白人によるイスラム系への差別意識を助長している。生活環境において能力を発揮する場がないにもかかわらず、白人はイスラム教徒を「無能」と切り捨てる。

日本人の東アジア人に対する差別意識は、上記の二つほどクリアではないが、そこには何らかの「優越感」がある。しかし近年それが複雑化しているのは、日本人から見て「本来なら優越しているはずの自分たちが脅かされている」という危機感である。これが差別意識を増幅しているかもしれない。

つまり差別意識の根源は「優越感」と、一人ひとりを「個人」として見ないで「人種」や「民族」のように大枠で囲い、そのなかに匿名者として入れ込んでしまうことである。

人間は無数の環境情報を整理するために、物事を区分けして類型化することを覚えた。これは大発明だが、これを人間に対して応用すると、個人を人種や民族で判断してしまう。

このような種別を「カテゴリー」(範疇)と言うが、個人を人種で類型化する「カテゴリー認識」も差別意識に一役買っている。「優越感」に「カテゴリー認識」を加えると、そのままが差別につながるわけではないが、差別の下地を整えてしまう。

このような種別を「カテゴリー」(範疇)と言うが、個人を人種で類型化する「カテゴリー認識」も差別意識に一役買っている。「優越感」に「カテゴリー認識」を加えると、そのままが差別につながるわけではないが、差別の下地を整えてしまう。

(このコラムは毎月1日と15日の月2回。次回は10月2日です。)

【森田浩之プロフィール】

1966年生まれ、東日本国際大学客員教授。フリーの著述家として、政治・経済について執筆・講演する一方、情報通信政策研究会の座長を務めている。NTT労働組合の政治学習会では、全般的な政治・経済に加えて、「これからの労働運動」「若者と政治」「NTTをめぐる規制と情報通信政策の動向」「地方分権時代の政策立案」など、多彩な内容の講演を行なう。著書に『小さな大国イギリス』(東洋経済新報社)、『社会の形而上学』『情報社会のコスモロジー』(共に、日本評論社)など。