森田浩之の政治コラム(最新回)

森田浩之の政治コラム

第196回 自由と規律

現代民主主義の原点は、近代市民革命にあるが、歴史を知らないと、主権が人民の側にあることの意味がつかめない。参政権があることは「当たり前」のことではなく、維持するために労力が必要である。

近代民主主義が登場したのは、17・18世紀の絶対王政が多数の人権を侵害してきたからである。市民革命の原典であるジョン・ロック『統治二論』に「生命・自由・財産」が不可侵の権利だと書いてあるのは、人権の明文化が必要だったためである。

この権利は普遍的法則として平等に与えられているが、現実において人権は多くの場面で蹂躙されている。だから一般人どうしの人権侵害を止めるために、国家が人民の同意によって樹立された。

ゆえに国家は人権侵害を止めるための「手段」であり「道具」に過ぎない。これ自体に人格を付与するようなことをすれば、国家が自律的に活動して、絶大な権力を用いて国民の人権を侵害してしまう。

確認すれば、近代以前に絶対王政があり、暴力的に国民の人権を侵害してきた。だから人民は暴力的に王制を倒さざるを得なかった。

王制を廃止すると今度は無政府状態がやってきて、人民どうしの人権侵害が横行する。これを止めるために、一般人は「暴力をふるう自由」を放棄して、政府に武力を一元的に管理させることで、国家の設立に合意する。

国家は人民の負託によって、規則に違反した人に対してだけ、暴力的に違反者の自由を奪い、処罰する。

人民が暴力を行使できないのと対照的に、国家だけは「合法的に」暴力を行使できる。そして「規則」を作るのも、特別な役割を与えられた人びとである。

つまり規則を決める権限を与えられた人たち(政治家)だけが、国家に暴力を行使する正当性を与えることができる。

整理すれば、国民どうしの紛争解決のために国家が創られるが、実行機関である政府は特定の規則に基づいて行動する。この規則(法律)を決められるのが国会議員である。

この図式のなかで、一般国民が行使できる権利は、国会議員を選ぶことである。議員は法律を決める権限を得ることで、政府に行動する根拠を与える。政府は法律に基づいてでしか権力を行使することはできない。

だから一般国民は政府の活動自体を規制することはできない。国会議員は法律を通じて政府を規制するが、一般国民はその法律すら直接的に決めることはできない。一般国民にできることは、法律を決める政治家を選ぶことだけである。

多くの人がこれに不満を抱いているが、そうは言ってもすべての法律を一般国民に決めさせることはできない。あらゆる法案を国民投票にかけることは現実的に不可能だからである。

長い歴史のなかで、独裁制、貴族制、直接民主制など、様々な制度が試されてきたが、結局残ったのが間接民主制だった。これは語弊のある言い方をすれば、貴族制と民主制の混合形態と言える。

法律の制定は現代の貴族たる国会議員に担わせるが、定期的にその貴族を選び直す機会が人民に与えられる。

「選挙にどれほどの意味があるのか」と自分の一票の価値に不満を持つ人がいるのはよくわかる。自分の思った通りに政治が動かないことを嘆く気持ちもよくわかる。

しかし人民に選挙権がなかった時代と比べていただきたい。独裁者や貴族が勝手気ままに法律を決めていた時代から比べれば、われわれ自身が独裁者や貴族を入れ替えられるのは素晴らしいことである。

昔なら武力で独裁者や貴族の首を取らなければならなかったのに、いまでは投票用紙で首をすげ替えられる。

近代民主主義論では、暴君に抑圧を受けてきた人民が解放されることによって、彼らは積極的に参政権を行使すると思われてきた。選挙において一票を投じることは、自由であり、権利である。

しかし現代の有権者は、自分の一票の価値に疑問を持つあまり、投票日に投票所に行く意欲を失ってしまった。「一票にどれだけの価値があるのか」と考えると、もちろん全人口に占める割合からすれば大きくない。

とはいえ、もし私の一票、またはあなたの一票で制度が大きく変わるようならば、それのほうが恐ろしいことである。

投票する前の議論が大事で、意見交換を重ねて国民的コンセンサスを形成する努力なしに選挙だけで事を決しようとするから、過度な期待と絶望という両極端に振れてしまう。

私が最近悩んでいるのは、17・18世紀のような解放された人民が積極的に投票するという構図は、21世紀には通用しないのでは、ということである。

かつては「自由」に基づいて投票していたが、いまはなんらかの「規律」を導入しないと、国民は投票所に行かないのではないか。

投票はいまでも「権利」であるが「義務」的要素を付け加えて、参政権の大切さを植えつける必要がある。ひとつの方法は、過去の人びとがどれほど苦労して選挙権を獲得したのかを教えることである。

歴史・哲学の教育を疎かにした国の荒廃が、このようなところに表われている。

(このコラムは毎月1日と15日の月2回。次回は6月1日です。)

【森田浩之プロフィール】

1966年生まれ、東日本国際大学客員教授。フリーの著述家として、政治・経済について執筆・講演する一方、情報通信政策研究会の座長を務めている。NTT労働組合の政治学習会では、全般的な政治・経済に加えて、「これからの労働運動」「若者と政治」「NTTをめぐる規制と情報通信政策の動向」「地方分権時代の政策立案」など、多彩な内容の講演を行なう。著書に『小さな大国イギリス』(東洋経済新報社)、『社会の形而上学』『情報社会のコスモロジー』(共に、日本評論社)など。