森田浩之の政治コラム(最新回)

森田浩之の政治コラム

第218回 政権交代の必要性

「いい政治をしているならば、長期政権でも構わないではないか」という見方もあるかもしれない。しかしそれでも政権交代は必要であり、または実際に政権が交代しないとしても「可能性」を保つことで緊張感を維持しなければならない。

政権交代が必要なのは、時の政権が間違った政策を実行している場合であるが、それ以外にも政権の長期化による腐敗がある。それは時の政権が権力を乱用して、政治を通じて配分されるべき資源を私物化することであるが、部下が絶対的権力を掌握したリーダーにおもねるという組織的な腐敗もある。

長期的な安定政権と、長期政権がもたらす腐敗は、微妙なバランスにある。というのも政権が安定していることは、政策の継続性という意味で好ましいが、それによって腐敗が起こる可能性があるため、「安定」と「腐敗」の均衡はむずかしい。

中国では習近平国家主席が任期撤廃の憲法改正を成し遂げた。これは政策面では好ましい場合もあるが、将来的には不都合なことになる。好ましい場合があるのは、政策が中国にとってよいものならば(あくまで「よいならば」という仮定の話)、政策が安定的に継続されることである。ひとつの政策が効果を示すには、何年もの時が必要である。

政権が頻繁に変われば、前政権の政策の効果が出る前に新しい政策が出てきて、再び政権が交代すれば、改めて別の政策をやり直すことになるから、無駄が重なる。

だから政策の継続性という面では、長期安定政権は好ましい。しかし長期安定政権になれば、政権に権力が集中するから、政治は腐敗する。まず政権が絶対的権力を悪用して、国民に配分すべき資源の一部を私物化してしまう。

加えて国家全体にとっての弊害は、リーダーに好かれた人しか、政権内で生き残れないことであり、そして生き残るために、明確な指示がなくても、リーダーに気に入られるような行動をとってしまうことである。これが今、政治の話題で出る「忖度」という言葉の使われ方である。

仮に習体制の政策が中国経済にとって好都合ならば、任期の撤廃は、短期的には中国にとってプラスかもしれない。習体制の政策が続いていくという予測が共有されれば、国民はその予測に基づいて行動するから、政策が国中に浸透して、効果が現われる。

反対に数年で退任することがわかっていれば、経済活動に携わる人たちは、次にだれが来るかわからないから、どのように行動してよいか、たとえばどう投資してよいか決められないため、経済活動が滞る。

政治とは法律をつくることであり、法律とは国民活動のプラットフォームである。政策が正しくないと困るが、肝心なことは、自分たちがどのようなプラットフォームのもとで活動しているか、国民が熟知していることであり、その予測が長期的に安定していることである。だから政治の安定が、政策が効果を上げるためには不可欠である。

習体制の任期が無期限になったことで、経済人たちは体制が続くことを前提に、投資や事業の計画を立てる。政策が正しければ、数年後に経済は好転するだろう。

一方で習体制が続くという予測が定着すれは、恩恵にあずかろうと、多くの人が体制に群がる。体制に権限が集中すれば、体制の一存で資源の配分先が決まるから、資源の一部を着服できるし、自分のかわいがる人びとに資源を横流しすることもできる。。

リーダーが絶対的権力を掌握したことが広く知れ渡ると、体制内で働く人たちは指導層に気に入られたい。そうでなないと昇進できないし、刃向ったら飛ばされてしまう。

このようなメンタリティが政府内に蔓延すると、官僚は「国のため」ではなく「リーダーのため」に仕事をするようになる。役人は、上層部が明言しなくても「こうすると喜んでくれるだろう」と忖度して行動してしまう。

このような事態は国にとってはマイナスである。というのも、リーダーの私欲と、国全体の利益は、必然的に一致しないからである。

心の底から国を想う指導者は潔く身を引くから、忖度は起こらない。一方で長期政権をめざす人は権力欲の強い人だから、利己的動機から解放されることはない。すると個人の私益と社会の公益が衝突して、権力者の私利が優先される。

長期政権になってリーダーも部下も腐敗すると、その体制で生き残れる人しか、政治の世界をめざさなくなる。社会のなかには、たくさんの優秀な人材がいる。どの分野も優秀な人を求めるから、分野どうしで人材を奪い合う。

優秀な人材を勝ち取れるかどうかは、まずは金銭的報酬にかかるが、やりがいも重要である。優秀な人は「自分の才能が活かせて、それを認めてもらえる分野」に行きたいが、組織が硬直していて、リーダーにごまをする人しか評価されないことがわかっていれば、そんなところには進まない。

中国にとっての長期的な弊害は、習体制が安定して、習近平色が強くなればなるほど、優秀な人が政治を志さなくなることである。官僚はおべっか使いだけになり、新しい発想が政府から出てこない。

これはまさに日本で起こっていることである。習体制を例にしてきたが、これはすべて「安倍政権」に書き換えられる。これは財務省の問題ではい。なぜ財務省がこれほど腐敗したのかを問わなければならない。それは政権が絶対権力化したからである。政権交代の時である。

(このコラムは毎月1日と15日の月2回。次回は5月1日です。)

【森田浩之プロフィール】

1966年生まれ、東日本国際大学客員教授。フリーの著述家として、政治・経済について執筆・講演する一方、情報通信政策研究会の座長を務めている。NTT労働組合の政治学習会では、全般的な政治・経済に加えて、「これからの労働運動」「若者と政治」「NTTをめぐる規制と情報通信政策の動向」「地方分権時代の政策立案」など、多彩な内容の講演を行なう。著書に『小さな大国イギリス』(東洋経済新報社)、『社会の形而上学』『情報社会のコスモロジー』(共に、日本評論社)など。